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| 海蔵地区の神社、寺院 |
海蔵地区には 多くの神社仏閣があり、それぞれに由緒があります。
ここでは平成4年から10年間にわたり地区社協広報誌「かいぞう」紹介されてきた当時の記事をそのまま転載しています。
その後の事情により現在の状況とは違っているものもあることをご了解ください。 |
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浄覚寺
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西阿倉川836番地
海蔵山 浄 覚 寺(じょうかくじ)
浄土真宗本願寺派 本尊 阿弥陀如来
葛原親王(かつはらしんのう)の末裔である舘家十代の孫、太郎平貞康(たろうたいらのさだやす)の子、太郎平貞治が剃髪し、浄空と号して創めたとされ、文明16年(1484)に本願寺蓮如上人に帰依して、天台宗から真宗に転じたとの事です。蓮如上人の子である實如上人の時に、現在の寺名で建立されました。江戸末期に焼失しましたが、昭和2年(1927)に本堂の再建と共に入仏式が行われました。境内には平成20年(2008)に終えた本堂修復の際に降ろされた以前の主棟鬼瓦があります。土・日曜日には、所要がない限り、鐘楼の鐘が午前11時に10回つかれます。
鐘の音 時を告げて三十年
(1980年[昭和55年]8月地区広報№22)
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御厨飽良河神社
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西阿倉川1543番地
御厨飽良河神社(みくりあくらがわじんじゃ)
祭神 素戔嗚尊(すさのうのみこと)他
古くから浄覚寺の守護神としてあったものを、慶長6年(1601)に村民が尊崇して産生神(うぶすながみ)として現在の地[西阿倉川字北山]に祀り、明治7年(1874)に北山社としました。その後、西阿倉川地内の2社を合祀し、当地を飽良河と呼んでいた習わしと社棟札に内宮御厨云々の記名があることを合わせて、明治21年(1888)に社名改称願いを出し、現在の社名となりました。
秋の大祭には、明治の初め頃から受け継がれている獅子舞が奉納されます
獅 子 舞
(1985年[昭和60年]2月地区広報№28)
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真楽寺
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東阿倉川431番地
上野山 眞 楽 寺(しんらくじ)
浄土真宗本願寺派 本尊 阿弥陀如来
天台宗として創建された後、応仁元年(1467)に本願寺蓮如上人が当地に化導(*1)の際、住職であった了空師が上人に帰依し、六字尊号(*2)を賜り、天台宗から真宗に転じました。当寺は西阿倉川上野山にありましたが、現在地に移ったのは、天正の兵火(1576年からの10年)後であろうとされています。現本堂は、明治14年(1881)に再建されました。
*1:人々を教化して導くこと *2:「南無阿弥陀佛」の六字をもって佛徳を現した本尊
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唯福寺
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東阿倉川455番地
田端山 唯 福 寺(ゆいふくじ)
真宗大谷派 本尊 阿弥陀如来
文正元年(1466)に、南勢武士の田端十郎政元が出家して庵主となり、後に入道して空正と号し、真宗本願寺實如上人に帰依して天台宗から転宗、その後、寛永17年(1640)に教如上人より木像本尊及び唯福寺の寺号を賜りました。織田信長の焼き討ち等にあいましたが再建されました。境内には、海蔵庵窯跡の碑があります。十三世住職の教正師により、この地域への殖産工業として四日市萬古が創始された記念として建てられたものとされています。(海蔵庵:唯福寺の旧称)
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海蔵神社
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東阿倉川540番地
海蔵神社(かいぞうじんじゃ)
祭神 素戔嗚尊(すさのうのみこと)他
古くから東阿倉川地区に散在していた5社が、明治40年(1907)の神社合同令により、今の位置にあった飽良河神社に合祀されて海蔵神社となりました。拝殿の奥には元禄14年頃(320年ほど前)の石灯籠一対が置かれています。また、境内には海蔵稲荷社[祭神 稻倉魂命(うがのみたま)]があります。現在の社殿は昭和9年(1934)に造営されました。その時建てられた石造の大鳥居は、昭和19年(1944)の南海大地震によって崩れましたが、それを石材として同境内にある戦没戦災者の慰霊碑が造られました。
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多度神社
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三ツ谷町7番
多度神社(たどじんじゃ)
祭神 天津彦根命
[あまつひこねのみこと]
桑名郡(現在は桑名市に合併)の多度大社の御分霊を明治18年に三ツ谷の産土神[うぶすながみ]として奉斎し、住民の厚い信仰を受けて来ました。 三重県訓令(明治40年)により、一時、他の社に合祀され、また戦災による焼失もありましたが、昭和25年に現在の社殿が造営されて今日に至っています。
旧東海道沿いにあり、参道入口横には、今では珍しい公衆電話ボックスがあります。
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神明社
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末永町3番18号
神明社(しんめいしゃ)
祭神:大日孁貴尊(おおひるめのみこと)
当社の棟札(建築・修築の記録)には天文6年(1537年)と記されています。伊勢神宮の分霊社として建立され、古くから「歯の神様」として奉られています。拝殿の左右には昔から「力石」があり、それぞれ約60㎏と80㎏です。昭和20年(1945年)6月18日の四日市大空襲でご神殿は焼失しましたが拝殿社務所は被災をまぬがれ、その後修復されました。
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正福寺
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本郷町5番6号
永照山 正福寺(しょうふくじ)
真宗大谷派 本尊:阿弥陀如来
天台宗でしたが、永正11年(1514年)に住職 西了師が蓮如上人に帰依して転宗しました。昭和20年(1945年)6月18日の四日市大空襲で堂宇を焼失しましたが、同29年(1954年)4月に本堂を再建して入仏式が行われました。その後、末永本郷土地区画整理事業に伴い新しい本堂が建立され、平成19年(2007年)10月に落慶法要が営まれました。境内の墓地も合わせて整備されました。海蔵小学校の前身は、当寺の説教所からといわれ当時の先生のお墓が教え子たちにより明治18年(1885年)10月に建立され、釋了典法師と碑に銘されて境内の南西角にあります。
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悟真寺
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野田二丁目23番27号
仏法山 悟眞寺(ごしんじ)
宗派:浄土宗、本尊:阿弥陀如来
天正3年(1575年)に織田信長の家臣滝川一益の兵火によって尾平村の永代寺が焼失し、その難から救い出された同寺の本尊
阿弥陀如来木像(眼病で苦しむ庶民を憐れみ、平癒を祈願して彫刻されたといわれ、眼の阿弥陀様として信仰を集めた)を、その頃まで葭原であった野田の地に移し、庵を結び安置されました。これが後に悟眞寺となったとされています。平成12年(2000年)の火災により焼失しましたが、再建されて平成16年(2004年)11月に落慶法要が営まれました。
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野田神社
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野田二丁目19番
野田神社(のだじんじゃ)
祭神:建速須佐之男命(たてはやのすさのおのみこと)と菅原道眞
野田集落の西の耕作地の中にあります。江戸時代は午頭天王社(ごずてんのうしゃ)と称しましが、明治40年(1907年)の神社合祀の際、野田村にあった天満神社を併祀(へいし)して野田神社と称するようになりました。集落は農業を営む家が多くあったことから、その暦に合せて神社の祭礼が今も行なわれています。境内には、「平和之礎」が建立されています。
平和の礎建立
(1981年[昭和56年]3月号地区広報)
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